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デジタルネイティブの台頭が、人材流動化の鍵?

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就職氷河期世代とかロストジェネレーションとか、あんまりいいように形容されない僕らの世代ですが、Marc Prensky氏によると、僕らの世代というのは「Digital Immigrant」ということになるそうです。「Digital Native」が生まれるまでの移民の世代ということで、この言葉は結構しっくり来ますね。

先日、NHKスペシャルで『デジタルネイティブ』というそのままずばりの特番が放映されまして、はてなが取材を受けたということもあり、結構ネット界隈で放映前から話題になっていたようです。内容的には取材対象はそれぞれ興味深かったものの、散々変化の現場をフィーチャーしたのに、結論が「世界は変わるかも知れない。。。」みたいなありがちなもので、ちょっと消化不良というか、不完全燃焼というか、良いトピックだったのに勿体無いなあ、という感じがしました。

10歳ほど年下の従兄弟などを見てきた感じだと、世代間の隔絶を感じざるを得ません。彼らは映画張りのフル3Dのゲームで育ってきた世代で、リテラシーとかそういう次元ではなく、育んできた「感覚」→「デジタル感覚」みたいなものが、僕ら「Digital Immigrant」とは違う気がします。

「Digital Immigrant」の良いところというのは、黎明期のデジタルの進化の経緯を見てきたというところでしょう。パソコン通信やテレホーダイやポケベルで始まっていますから、技術の変遷を体感してきました。一方で「Digital Native」にとってはデジタル環境が整備されているのが言わば当たり前の世代です。この「当たり前の土台」が違うというのは結構大きいように思います。

折りしも世界経済は混迷の時代を迎え、日本でも多かれ少なかれその影響は受けるでしょう。企業もそれなりのダウンサイジングを余儀なくされるでしょうし、Tom Peters氏が90年代に予言した「ホワイトカラーは近い将来激減する」ということは、対外的な要因で不可避になるかも知れません。そういう時代にあって、優秀な人材と企業がどのようなパートナーシップを構築するべきなのか、というのは大きな命題です。

「Digital Native」の特性というのは、学校教育が築いたものではなく、技術の発展と文化の変遷によって築かれたものだと言えると思います。これまでの学歴社会のように順当にピラミッド構造で優秀な大学に進学した学生が大企業に就職するということが、構造的に機能しなくなるように思います。

今の企業にとって、「Digital Native」というのは「強烈な個性」だと思います。そういうものをどのように評価するのか。そのスケールを今の人事・採用の仕組みが持っているかというとどうでしょう。僕みたいな人間は、そういう大企業にフィットできないような個性を、元気のある中小企業が大いに評価して採用して欲しいと願うわけですが、そうすると学歴社会と企業社会の間にあった大量生産・大量採用のバランスは崩れるのではないですかね。今ですら兆しはあるわけですから、今後大きな滑落になる可能性はあります。

数年前までは転職市場が活況にありましたが、基本的には日本は人材流動性のまだまだ低い国です。それはある意味で雇用が安定しているとも言えますが、一方で、「社内でくすぶっているエンジニア」や「やりたいことができないクリエイター」と言った不適切な職場に甘んじている話もかなり聞きます。

「Digital Native」が社会人になる時代が来て、世の「人事」に対する考え方が刷新されるを得ない時代が来れば、それこそもしかしたら「フリーエージェントの時代」への幕開けなのかも知れませんし、世の人々が「やりたいことをやりたいようにする」社会の到来なのかも知れません。

ただ、それってとても厳しい時代だ、ということを忘れてはいけませんが。


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